残業代請求を和解で解決する場合の注意点-和解と賃金債権放棄

公開日:2020年9月4日
  • 残業代請求対応、未払い賃金対応

未払い残業代の問題を解決する場合、和解によって解決することがよくあります。和解というのは、当事者双方が互いに納得した上で、紛争の終局的な解決を図ろうとする合意を指します。和解は、裁判所における手続の中で行なわれることもありますが、裁判所外においても行われることもあるものです。では、和解という形式さえ整えば、未払い残業代の問題は解決できたといえるのでしょうか。その点につき検討したいと思います。

未払い残業代の請求と和解による解決

未払い残業代の解決を図る場合、方法としては、①裁判所外で解決をする場合、②裁判所において労働審判や訴訟によって解決をする場合、が考えられます。そして、いずれの場合も、当事者双方が譲歩をし合い、合意によって解決を図る場合があり、これを和解といいます。和解による解決は、裁判所内外を合わせ、広く行われています。

未払い残業代は、正確に計算をしようとすれば、割増賃金の基礎となる賃金を算定し、各日の残業時間を算定し、それに合わせて割増率を乗じて行わなければならず、これらについて争いがある場合においては、その認定も容易なことではないため、和解による解決が広く行われるものです。

和解の意義と効力

和解とは、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずるものとされています(民法659条)。

裁判上の和解は、確定判決と同一の効力を有します。

当事者が和解の対象とした事項については、それが真実とは異なるものであったとしても、和解によって法律関係が確定することとなります。そのため、和解の対象とした事項については後から紛争を蒸し返すことはできません。

特に、和解の対象となった事項自体に錯誤(簡単にいえば、誤解のことです。)があった場合でも、和解をした後に錯誤であったことを理由として争うことはできません。

そのため、支払金額をめぐって争っているときに、その一部を免除する内容での和解をした場合、後に請求者側が、和解した金額と異なる支払金額の証拠を発見したとしても、和解後には争うことができません。

これが、和解により、紛争を蒸し返すことができなくなることの意味です。

賃金全額払いの原則と賃金債権放棄の関係

労働基準法24条1項では、賃金は、労働者に全額支払わなければならない旨が定められており、これを賃金全額払いの原則と呼んでいます。賃金全額払いの原則を貫徹する場合、賃金債権を労働者が放棄することはこの規定に抵触するのではないかとの疑問が生じます。以下では、その点について解説します。

賃金全額払いの原則

賃金全額払いの原則の趣旨について、最高裁判所は、「使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするもの」と述べています(最判平成2年11月26日判タ765号169頁)。

賃金債権を放棄することの有効性

賃金全額払いの原則が上記のような趣旨であるとしましても、労働者側が自由な意思に基づいて賃金債権を放棄する場合にまで、賃金全額払いの原則を貫徹するのは、労働者側の自由意思を制限することにもなりますので、適当ではありません。そのため、裁判例においても、既に発生した賃金債権を自由意思によって放棄することは適法とされています。もっとも、ここにいう自由意思の判断は、それを認めるに足りるだけの合理的な理由が客観的に存在している必要があります。

賃金請求権放棄の有効性に関する裁判例

賃金債権の放棄に関してリーディングケースとされているのが、シンガー・ソーイング・メシーン事件(最判昭和48年1月19日判時695号107頁)です。

事件の概要

被告会社に勤務していた原告(労働者)は、被告会社との間で雇用契約を合意解約することとなったところ、就業規則に基づけば、一定の退職金が支給されるはずでした。ところが、原告は、解約に際し、「原告は被告会社に対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する。」旨の記載のある書面に署名して被告会社に差入れていました。なお、当時、原告の被告会社に対する請求権としては、退職金債権以外には考えられませんでした。

裁判所の判断(事件番号 裁判年月日・裁判所・裁判種類)

裁判所は、まず、賃金全額払いの原則について、「使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もつて労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきである」とし、本件のように、労働者が退職に際しみずから賃金に該当する退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、賃金全額払いの原則が、その放棄の意思表示の効力を否定する趣旨であるとまで解することはできないと判断を示しました。

そして、賃金全額払いの原則の趣旨に鑑みれば、退職金債権(賃金債権)の放棄の意思表示の効力を肯定するには、労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないと判示しています。

その上で、当該事案においては、労働者の退職金債権(賃金債権)の放棄の意思表示が労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたものということができるから、労働者の退職金債権の意思表示の効力は肯定できるとしました。

ポイントと解説

上記の判例における判断は、賃金全額払いの趣旨が、労働者側から賃金債権を放棄する意思表示をした場合は、労働者が自ら放棄することを否定する趣旨とまでは解せないとしており、労働者自ら賃金債権を放棄することは肯定しています。

しかし、労働者が賃金債権を放棄するのは、賃金全額払いの原則の趣旨からすると、慎重に判断を要するものであると考えており、それゆえに、労働者の自由な意思に基づく必要があるとしています。そして、その自由な意思があったかどうかを判断するにおいて、当該事案においては「自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が、客観的に存在していた」と理由付けていることから、単に労働者が賃金債権を放棄する意思表示をしたというものでは足りないと考えていると思われます。

他の裁判例においても、賃金債権放棄の意思表示が自由な意思に基づくと認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたといえるかどうかが争点となっていますので、裁判実務上も、形式を整えるだけでは足りないと考えていることは明らかです。

和解で解決するにあたって使用者が注意すべき点

使用者側が、未払い残業代を巡って労働者との紛争を解決する場合、残業の有無やその必要性等を巡って労働者側と交渉をし、解決を図っていくものだと思われます。

和解による解決を行なう際に、労働者側に未払い残業代を放棄させる内容の和解を望む場合は、上記の判例からしますと、形式的な和解を調えただけでは足りないとされる可能性が高いとみるべきです。

特に、残業代の未払いが犯罪とされていることにも照らしますと(労働基準法119条1号)、残業代の未払いは違法性が高いものと考えられますので、裁判所が未払い残業代の放棄を含む形式的な和解内容を、安易に追認するとは考えにくいものです。 そのため、未払い残業代が存在することを前提に、形式的に未払い残業代を放棄させるような書面を取り付けたとしても、無効とされる可能性がありますし、形式的に書面を取り付ける行動自体が、自由な意思に基づかないものであったと捉えられてしまう可能性があります。

そういった観点から、未払い残業代があった場合には、労働者とのやりとりは書面で残す、和解内容の説明を尽くすというような情報提供を行う、未払い残業代の計算に争いがある場合は、使用者側としての計算根拠を示すというように、労働者に対して尽くすべき説明や労働者の請求との溝を埋める対応を行った上で和解を目指す必要があるでしょう。

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